TERMINALの10月のテーマは「真の仲直り」。“表面的な仲直り”と“真の仲直り”では何が違うのか、誰かと対立した時にどうすれば真の仲直りに近づけるのか、といったことを深掘りしていきます。
今回お話を伺ったのは、関西学院大学社会学部教授の清水裕士さん。加害者の謝罪と、被害者の赦しで成り立つ仲直りを、社会心理学の観点から分析してもらいました。
プロフィール:清水裕士(しみずひろし)
関西学院大学社会学部教授 2008年大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学,博士(人間科学).専門社会調査士.主な著書に『社会心理学のための統計学(共著)』,『幸福を目指す対人社会心理学(分担執筆)』などがある.
謝罪で誠意を伝えるためには何が必要?
――前回、仲直りは大切な人との関係維持に必要なことである一方、謝罪が赦しに繋がることもあれば、繋がらないこともあると清水さんはおっしゃっていました。具体的に謝罪が赦しに繋がらないケースとはどういうものなのでしょうか。
やはり、謝罪に誠意が感じられない場合ですよね。その誠意を判断する材料の一つとして挙げられるのが、コストの量。誰かの物を壊した時に弁償する、これが一番わかりやすい例です。金銭的なコストに限らず、大きなミスをしてしまった時に直接謝りに行くか、メールで謝るかでは相手の受け取り方も当然変わってきます。メールで謝れば済むことなのに直接謝罪に行くなんて無駄と思うかもしれませんが、そういう無駄なコストをかけてでも「あなたとの関係を維持したい」「それだけあなたとの関係に価値を感じています」という明確なメッセージになるわけです。事態が深刻であればあるほど、コストをかけるかどうかは重要になってくると思いますね。
――「ごめんなさい」という言葉一つとっても、信じられる場合と信じられない場合があると思います。誠意を伝えるために必要なプロセスはありますか?
まず大前提として、相手に価値があると思っているからこそ、人は謝罪をするわけです。相手に価値がないと思っているのに謝罪をする場合は、相手との関係修復以外の目的がある可能性が高く、そういうのは往々にして誠意が感じられません。なので、言うなれば「謝罪をせざるを得ない」という精神状態が必要なんですよね。例えば、相手が顔を真っ赤にして告白してきたらこの人は本当に自分のことが好きなんだなって思うじゃないですか。謝罪も同じで、大事な人を怒らせて関係性が壊れてしまいそうになったら、動揺しますし、場合によっては泣いて許しを乞うかもしれません。そうしたら、たとえコストをかけていなくても自ずと誠意は伝わると思います。まぁ、プロの詐欺師はそういう演技が上手なんですが(笑)。
――ではまず、相手を失ったら自分がどれだけ困るかを考える必要があるかもしれないですね。一方で、大人になるとなぜか「謝ったら負け」みたいな気持ちになりがちだと思います。子供よりも大人の方が謝らなかったらどうなるかを冷静に判断できそうなものですが、なぜなのでしょうか?
いくつか理由はあると思うのですが、単純に人は責められるのが嫌いというのはありますよね。そしてもう一つは、相手から自分の言動でダメージを受けたと言われた時に、大人になるとそれが本当かどうかを疑ってしまうということもあると思います。やはり人間は時に嘘をつく生き物だということが大人は分かっているので、どうしても「本当にそうなのか」「大げさに言ってるんじゃないのか」ということが頭にちらつくんです。どうしてそこまで人が慎重になるかというと、謝罪をした場合、相手から保障を求められる可能性があるから。ひたすら受身でいたら、いくらでも搾取されてしまうという恐れもそこにはあるのではないでしょうか。
許す、許さないは話し合ってから決めればいい
――逆に許すという行為についてもかなり労力がかかることだと思うのですが、相手を許したいけど、許せないという時に必要なことはありますか?
赦しの場合も結局のところは相手との関係にどれだけ価値を感じているかなんですよね。例えば、もうこの人以上に自分を理解してくれる相手はいないと思えば、何をされても許してしまいますし。それでも簡単に許せない場合はもちろんあって、そういう場合は対話が必要だと思います。やっぱり世の中には思い込みがたくさんあり、例えば何か許せないことをされた時に、それを自分は悪意と捉えていたけど、相手からしてみたら悪意など微塵もなかったという場合もあります。なのでまずは話してみて、相手がどういうつもりでそういうことをしたのかを聞くこと。その上で許すかどうかを決めればいいと思います。もちろん対話の結果、より問題が悪化する場合もありますが、許したいという気持ちがあるならば対話が有効に働く可能性は高いです。
――傷つけようと持って傷つけることなんて、あまりないですもんね。何かのすれ違いだったり、誤解だったりする場合はやはり多いのだと思います。そこを対話で紐解いていくのは重要ですが、端から話し合いを避けられる場合はどうすればいいのでしょうか。
喧嘩って大体パターンがあると思うんですよ。特に夫婦や恋人のように閉じた関係だと対話がワンパターン化して、会話の展開や結末が分かってくるんですよね。「だって、ここでもし俺がこう言ったらあなたは怒るでしょ」みたいな。そうなってくると対話することに意味を見出せなくなって、話し合いを避けてしまうということもあるかもしれません。だから、普段からいかに自分たちの話し合いを俯瞰してみるかがすごく大事なんですよね。第三者がいたら「また堂々巡りになってるよ」って指摘してくれるんですけど、オープンに喧嘩することはあまりないと思うので。本来、対話には外在的な助けが必要なんですけどね。
――確かに「結局は責められ終わり」と思ったら話し合いたくなくなりますよね。もしよっぽど収拾がつかなかったら、第三者を呼んでくるのも一つの手かもしれません。
そうですね。友達に聞いてもらうだけでも発散になると思います。ただ、往々にして自分の友達は自分の味方をする可能性が高いので、できれば両方の友達を呼んでどちらの意見も聞きつつ話し合う方がいいかもしれないです。
対立のよくある原因は「透明性の錯覚」
――喧嘩はいわば対立だと思うのですが、仲直り以前に恋人や友人と対立を避けるポイントはありますか?
よく「透明性の錯覚」といって、親密な関係であればあるほど、相手は自分のことを分かっているし、自分も相手のことを分かっていると思いがちなんですが、意外に分かっているつもりで分かっていないことがたくさんあるんですよね。特に長い付き合いになればなるほど、その思い込みは強くなっていくのですが、人間は変化する生き物なので、しばらく会話していないと「あれ、そうだったの?」と思うようなことが増えていきます。だからこそ、コンスタントに話をすることが重要なんです。毎日少しでも会話をして、相手に対する自分の認識を常にアップデートしていかないと関係を続けていくのは難しいんじゃないかという気がします。
――そもそも相手はどういうことが嫌で、何に対して腹が立つのかを知っておく必要があるということですよね。対立を避ける上でも話し合いが重要だということが分かりました。
ただ、どういう風に話し合うかということも考えなければいけません。「あれが嫌だ」「これが嫌だ」と毎回怒りに任せて伝えていると言われた方もストレスなので、できるなら怒りを伴わずに伝える必要があると思います。でも逆に怒ることで、本当に嫌だということが相手に分かってもらえるというメリットもあります。あまりにも冷静だと、相手によっては「別にそんな嫌じゃないのかも」と思われてしまう可能性もあるので。そこの塩梅が非常に難しいんですよね。
――喧嘩して仲直りすることで、関係性がより深まる可能性もありそうです。
深まっていくこともあるけど、ヒビが入る可能性ももちろんあるのでほどほどに(笑)。予防も大事、解決も大事。やっぱり相手を怒らせないようにすることも大事ですが、ぶつかることを避けてばかりいたら距離も縮まらない。一方でもし相手を怒らせてしまったら、しっかり話し合って、自分が悪い場合は謝る。そういう風に関係価値を高めていく必要があるのだと思います。