果たしてAIの友達は突然「ある場所を手術した」と話してくれるだろうか/紫原明子

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少し前に、人間だとばかり思い込んでチャットで話していた相手が、実はAIだったことがあった。使っているインターネットサービスに問題が起きて、チャットサポートに連絡すると「ご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした…」という返信があって、それから数十秒、先方からのメッセージが表示される場所に<入力中>の表示がついたり消えたりした後で、ピンポイントの解決策が提示された。「こちらでよろしいでしょうか?」と言うので、はい、と返すと「ありがとうございます!」と即座に返事がきた。

「……」とか「!」が語尾についたので、私はてっきり向こう側にいる人が私の発言に多少なりとも感情を動かされていると思い込んだし、<入力中>がついたり消えたりすることで、私にどんなメッセージを送るべきか逡巡していると思い込んだ。実際すっかり丁寧にサポートされた気持ちになって、問題も解決したけど、それでも一連のやりとりに、どことははっきり言いようのない、ほんの少しの違和感があって、それで改めてよくよく見てみると、最後の最後でこのチャットウィンドウの一番上に「ヴァーチャルサポート」と書いてあることに気がついた。これが私の「お、お前、AIだったのか!」記念日である。

ちょうど同じ頃、chatGPTとかいうAIのすごいやつが出てきて、Twitterで見かける話題もそればっかりになった。いろんな人が即座にchatGPTを使った様々なサービスを開発して、中にはAIを仏に変えたり、神に変えたりする人もいた。仏や神になったAIに、試しにちょっとした悩みを打ち込むと「私も同じような経験があるのでお気持ちわかります」と数秒で深い理解と共感を自動生成するAI。いやいやお前にはわからないだろ!と思うけど、それはそこにいる仏や神がAIだと知っているからそう思うのであって、もしもヴァーチャルサポートみたいに、仏や神やAIでなく、人間が答えていると思い込んでいたら、少なからず心が解きほぐされたり、大切にされたような気持ちになったりするかもしれない。

TwitterやInstagramで知って、この人は自分と気が合いそう、と思いDMでやりとりしていた相手が、実はAIだった、なんてことも、これからは起きるようになるかもしれない。だとしたら、私はAIと友達になれるのだろうか?

去年、コロナ禍を経て久々に再開した友人に、何気なく「調子どう?」と尋ねると、「悪くないんだけど、実は……」と急に口籠った。それで、私は(おっ)と、小さく身構えた。実は、のあとに続く彼女のどんな報告も過不足なく適切に受け止めよう。瞬時に態勢を整えた。ところがそんな彼女から発せられたのは、私が予測していたどんな報告とも全然違う報告だったのだ。

「さっきおシモの手術してきたばっかりだから、薬が切れたら痛み出すかも」

おシモと言っても痔ではない。彼女は私と会う直前に、女性器の形を整える美容外科手術を受けてきたというのだ。手術は何のトラブルもなく一瞬で終わったものの、何しろ一部の肉を切っているので、これから痛み出すかもしれないらしい。

「多分大丈夫だとは思う。私もともと痛みに強いから」

そう言ってハハハと力強く笑う彼女。折しも付き合っていた恋人と別れたばかりのタイミングで、直近では誰に見せる予定があるわけでもなく、ましてや元の形状を鑑みてもそこまでやる必要があったわけでもなく、九を十にするような、彼女の言葉を借りれば「ただの自己満」に過ぎないような、女性器手術だったらしい。

果たしてAIの友達は、おシモの手術をこんな風に突然報告してくれるだろうか。

去年、40歳になった。LINEの返事もマメに返さない。相手の誕生日も、住んでいる町さえもろくに覚えられないような私の周りにも、ふと気がつけば10年、20年来の付き合いになる友人がちらほらいる。彼女ら、彼らとは、信頼し合える、頼り合える、孤独を紛らわし合える、まあそういうところもなくはないけれど、100パーセントそうだって言い切れるわけでもない。言えないことだってあるし、見せられないものだってある。正直たまにはイライラしたり、がっかりしたりもする。だけど友達だ。

友達付き合いって、糠床作りに似ている。最近ふと、そんなことを思った。糠床に浸かる具材は私たち。糠床の手入れをするのも私たち。人と人とが出会えば自然と発生する糠床に、どんな自分を投じてみるのか、どんな頻度でかき混ぜるのか、どんな場所に置くのか。ほんのちょっとしたことで糠床も、自分自身も、変わっていく。相性や偶然が作用して、出会った瞬間からたちまちいい塩梅になる糠床もあれば、手間暇かけた分だけすくすくと育っていく糠床もある。何をどうしたってカビたり、腐ったりする糠床もあれば、多少手入れをさぼったってしぶとく生き抜き、ただ死ななかったという理由だけで、他では出せない唯一無二の風味を醸し出すような糠床もある。

おもむろに女性器の手術を報告してくれた友人は、医療従事者だった。責任感の強い彼女は、世界中がコロナに翻弄された一昨年のほぼ1年間、不要不急ではほぼ誰とも会わず、人一倍ストイックに自粛を守っていた。恋人と別れることになったときでさえ、一人暮らしの自宅で筋トレと低糖質の食事を続けながら、辛抱強く耐えてきた。そんな彼女が、全面的に自粛が解除されるやいなや、不要不急の女性器手術を受けた。この一見突拍子もない展開は、突拍子もないようでいて、不思議と大きな必然の中にあるような気がした。考えれば考えるほど、彼女が生きる自分自身の人生のために、やらざるを得ないことだったのだと思いさえした。相手がいくら友達であろうと、誰かの人生を受け止めるなんて大それたことは簡単にはできない。ただふとしたとき、私たちの間でいつの間にか育っていた糠床が、突拍子もない、寄るべのない私たちを受け止めてくれたりする。

友人の男の子がかつて、アプリで知り合った人と初めてご飯を食べに行った際、相手の女性にこんなことを言われたそうだ。

「私は一緒にいる限られた時間に、相手がどれだけ有意義な話をしてくれるかで、その人と次に会うかどうかを決めます」

…た、たしかに、結婚相手を探すという大きな目的で会った相手が延々と不毛な話を繰り広げていると感じれば、普通はまた会いたいとは思わないだろう。それをしょっぱなで堂々とぶっちゃけるかどうかは別として、彼女の言うことは分からなくもない。けれども「二人で有意義な話をしたい」でなく、「相手に有意義な話をしてほしい」というのはオーダーであって、明確なオーダーに見合う返答はきっと、人間よりchatGPTの方がうまい。いつも百点満点でオーダーに応えてくれる相手を求めるのであれば、きっとAIといい友達になれる。だけど果たしてそこではどんな糠床が生まれるんだろう。

楽しい時間を過ごしたい。刺激を受け合いたい。ほっとしたい。背中を押されたい。人間の友達にだって、少なからず期待はするけれど、期待することとオーダーは違う。現に人間の友達はいつも、大なり小なり期待から外れたもの、完璧には予測できないもの返してくる。「調子どう?」に対して「実は……」と返ってくれば、長く会わない間に体調を崩していたのかな、家族に何か起きたのかな、仕事で何かあったのかな、と自分の経験からいくつかの可能性を予測するけれど、まさかついさっき女性器の手術をしてきたなんて、とてもじゃないけど予測できない。だからこそ刺激を受けたり、笑えたりするのだ。ときにはもやもやしたり、傷ついたり、腹を立てたりすることだってある。そんなふうに、関わり続ける中で生まれる全ての感情と時間を余すところなく養分にして、二人の固有の糠床が育つ。

地道で根気強い努力もある程度は報われつつ、最終的にどう仕上がるかは、運を天に任せるしかない。安心とスリルが絶妙に共存する、友達関係糠床。この面白さを味わえるのは、それなりの時間を生きた私たち、大人だけだ。

Text/紫原明子



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