「キャラ=偽りの自分か?人間関係の満足度との意外なつながり/筑波大学助教・千島雄太さん(前編)

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あなたは人間関係においてどんな「キャラ」ですか?

いじられキャラ、天然キャラ、姉御キャラなどの他に、最近では「陰キャ・陽キャ」という言葉もあります。自身のキャラクターの属性を陰陽のどちらかで自称することが多いようです。

この2つの属性には大きな壁があり、相入れないタイプのように思えます。たとえば「陰キャ」の人が何かのきっかけで「陽キャ」になることはあるのでしょうか?

心理学の分野でパーソナリティ・キャラクターを研究テーマのひとつにしている筑波大学人間系助教の千島雄太さんに話を聞きました。

プロフィール:千島雄太(ちしまゆうた)
筑波大学人間系助教。専門領域は、教育心理学、発達心理学。主な研究テーマは、時間的自己やアイデンティティ形成など。近著には『非認知能力』(北大路書房)、『発達とは? 自己と他者/時間と空間から問う生涯発達心理学』(福村出版)など。

「キャラ」とは小集団の中で形成される仮の自分らしさ

ーー千島さんの研究テーマのひとつに、パーソナリティ・キャラクター研究があります。どのようなことを研究されているのでしょうか?

キャラクター研究は複数ある研究テーマのうちのひとつです。大学生が「キャラはあるが、縛られていると思う」「本来の自分ではないように振る舞わなければいけないと思ってしまう」という感覚に関心をもち、研究を始めました。

もともとは中学生・高校生・大学生がどのような人間関係を営んでいるかを軸に研究をしていました。大学院生のときに当時の大学4年生が卒論で「キャラ」をテーマにしていたのが興味深かったんです。それで、私も研究を進めて論文として発表をしました。

ーーそもそも発達心理学で青年期をテーマに選ばれたのはどうしてですか?

私自身も「本来の自分でいたい」「偽りの自分に抵抗がある」というタイプでした。しかし、本来の自分を出せないような状況もやはりあり、モヤモヤを感じていたのもあるかもしれません。そういった青年期に生じやすい悩みについて知りたいと思い、青年期を選びました。

ーー研究の手法としてはどのようなものがありますか?

研究テーマによって、実験・調査・面接などを使い分けていますが、アンケート調査が最も多いです。キャラクター研究にかんしては、社会学で「今の若者カルチャー」としての論考は見られるのですが、心理学において量的な研究は私が研究を始めた当初は少なかったんです。

だから、最初は「〇〇キャラと言われることがありますか?」「〇〇キャラと言われることに抵抗がありますか?」「そのキャラをどのくらい受け入れていますか?」という質問をし、統計的に分析をしていくことからはじめていきました。

ーー千島さんの研究から現在わかっている「キャラ」とはどういうものでしょうか?

まず「キャラ」という言葉自体、定義がさまざまで、人によってイメージするものが大きく異なるということが前提としてあります。その中で、私たちの研究では「人間関係の小集団の中で形成される仮の自分らしさ」としています。偽りの自分も含めながら、自分自身を認めてくれるものとも言えます。

「キャラ」のいい点としては、居場所が得られる、役割を得られることがあります。反面、悪い点としては与えられた「キャラ」に囚われてしまって、友達が本当の自分を見てくれない、からかわれるだけというようなネガティブな側面もあります。

本来の自分ではないキャラを使っている人はメンタルヘルスに悪影響を及ぼす

ーーその「キャラ」はどのくらいの年代から意識されているものなのでしょうか?

ある研究では小学校4年生以上を対象とした調査を行いました。「キャラって知っていますか?」などという質問をしたところ、結果として小学校5〜6年で「キャラ」の知名度が一気にあがり、以降の年代では高い知名度のままなんです。ですので、人間関係の中で「キャラ」を意識しだすのが小学校高学年くらいということが言えます。

ーー急に認知度が高まることがおもしろいですね。「キャラ」はひとつではない人も多いのでしょうか?

「複数のキャラがありますか?」という質問には3〜4個と答える人が多いので、使い分けている人が多いのだと思います。使い分けること自体はさまざまな見解があるのですが、基本的には本来の自分ではなく演技的なキャラの使い方をしている人はメンタルヘルスにいい影響を与えないということは言われています。

一方で、例えばあえて自分はこのグループでは姉御キャラでいくというように、好きでキャラをやっていたりキャラを肯定的に捉えられれば全く問題ないのかなと思います。

ーー自分の捉え方次第ということでしょうか?

自分自身の捉え方もそうですし、周りからどう扱われているかも影響はあると思います。自分自身と、周囲が受け入れているか、は大きなポイントです。自分から〇〇キャラですという使い方と、周囲から△△キャラだよねと言われることはかなり違いがあります。

例えば、いやいやながらいじられているとか、言われたくないのに見た目のキャラを言われるとか、自分の本心に反することを言われるとつらく感じますよね。

自分で〇〇キャラですと言える人は、自ら印象形成ができていると言えます。逆に周囲から言われたキャラが役割として固定化されて本心ではない行動を強いられるような人間関係は、問題になりやすいんです。

大学生・社会人ではキャラや役割を使い分けることも当たり前と感じられるようになる

ーーなかには「キャラ」がない人もいるのですか?

私がおこなった大学生を対象にした調査では、約半数は「キャラがない」もしくは「わからない」と答えていました。そして興味深かったのは、「わからない」と回答した人は意外と友人関係の満足度が低かったんです。おそらく、人からどう思われているかわからないという不安感があるのかなと思います。

ーー「キャラ」があることで人間関係に満足できるという一面もあるのですね。

「キャラ」がある人の傾向としては、笑いやノリを重視することがあります。友人関係もワイワイしているような人たちですね。

その中で「キャラ」を拒否していて、ネガティブに捉えている人たちは人間関係の質がのきなみよくないという傾向もあります。「キャラ」と言われることが不愉快とか、偽っているような気がするなどと感じている人ほど自尊感情が低く、居場所感も低いです。

また、中学生と大学生のデータを比較してみたのですが、結果に差が出たんです。大学生ではキャラを使っている行動が友人関係の満足感・自尊感情などに大きな関係は見られませんでした。一方で、中学生ではキャラを使って行動している人ほど環境への適応が悪いという結果が得られたんです。

つまり、大学生ではキャラを使って振る舞っていようがなかろうが、心理的な適応状態に大きな影響がない。しかし、中学生になると「キャラ」による悩みやストレスになることが大いにあるということなんです。

中学生では狭い教室の中のさらに狭いグループの中で、例えば一旦いじられキャラになるとそのキャラから抜け出せず、常にその役割を演じなければいけないことが多いんですよね。それが、大学生になるとそもそもの人間関係の固定感が薄まり、さまざまな関係性の中でやりぬくことができる。

また、中学生くらいだと「男子の前では〇〇キャラになってる女子」などとキャラを使うことがネガティブに見られることもあるのですが、大学生・社会人の世代になってくるとキャラや役割を使い分けることも当たり前と感じられるようになると思うんです。その違いも大きなポイントかなと思います。

後編に続く