日本的な「ムラ社会」はまだ残っていると思いますか?
会社組織や地域などでたまに感じる「ムラ社会」の雰囲気は、なんとなく嫌だけれども、海外進出はすぐには勇気が出ない…。
組織や社会に対するモヤモヤに対して、精神科医の泉谷閑示先生は「かりそめのムラ人」として生きればいいと話します。
どういうことか、くわしく聞いてみました。
プロフィール:泉谷 閑示(いずみや かんじ)
東北大学医学部卒。東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室にて研修し、その後社団正慶会栗田病院、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務。その後渡仏し、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。同時にパリ日本人学校教育相談員を務め帰国。現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(渋谷区広尾)院長。現在、診療以外にも、一般向けの啓蒙活動として、泉谷セミナー事務局主催の様々なセミナーや講座を開催している。著書に『「普通がいい」という病』『反教育論』(講談社現代新書)、『「私」を生きるための言葉~日本語と個人主義~』(研究社)、『仕事なんか生きがいにするな』『「うつ」の効用』(幻冬舎新書)など多数。
村八分にされないためにはムラに入らないこと
ーームラ社会といえば、村八分という言葉もあります。時代を超えて「シカト」「LINEはずし」という言葉に変化して残っているように思いますが、村八分をされないためにはどうしたらいいでしょうか?
私もどちらかと言えば村八分にされやすいタイプの人間だったのですが、あるとき、村八分にされないための決定的な方法を思いついたんです。
それは実に当たり前なことですが、「ムラに入らない」ことです。
ムラにとどまりたい、ムラの一員として過ごしていきたい人にとっては、村八分はとても怖いものでしょう。しかし当たり前ですが、ムラにいなければ村八分にあいようがない。少しの勇気を持ってムラ社会から足を洗って距離を置いてみるんです。そうすれば、陰口を叩かれようが、自分の耳には入ってこない。耳に入って来なければ、それは無いのと同じなのです。
ですから、あえてムラ的なグループの一員にならないようにすることも重要なのです。
ムラのメリットとデメリットはトレードオフ
ーーどういうことでしょうか?
会社などの仕事では、組織の一員として所属していますよね。しかしその時点では、組織の一員ではあるが、まだムラには入っていないのです。つまり、ムラ的な雰囲気に入らなければよいのです。
一方、ムラの一員になると、いわゆる互助会的なメリットがあります。ムラ人になると、そういうメリットは得られるものの、自分が本当にしたいことができにくくなったり、周囲の意見に同調することを求められたりなど様々な制約も生じるのです。
私は現在開業医ですが、出身医局のムラや医師会のムラに入れば、患者さんを紹介してもらえたりして、こちらが困らないように助けてくれるでしょう。しかし、かつての研修医や勤務医の時代に、散々ムラのいやらしさを経験してきたので、デメリットを承知の上で独立開業してからはそういうものには加わらないようにしたのです。一人で色々と活路を見出さなければならない大変さはありますが、自由な発想を何人にも束縛されないこの状況は実に爽やかで、今でもとても良い選択だったと思っています。
つまり、ムラに入ることのメリットとデメリットは、トレードオフになっているのです。
組織の中では、「かりそめのムラ人」で過ごす
ーー独立することは素晴らしいことだと思う一方で、なかなかできない人も多いと思います。ムラ社会の組織の中でうまく立ちまわりつつ、ラクに生きるコツはありますか?
聞いているだけだと、それはムシのいい話ですね。
現代では、働くことイコールどこかに勤めることと考えがちですが、本来働くことの基本形は自営なのです。昔だったら百姓も漁師も、茶店を開くのも、飛脚をするのもほとんどの仕事は自営だった。何の商売をして生きる糧を得るかという職業選択、それをどうやって成り立たせるのかという工夫や宣伝、人的ネットワークの開拓等々を全部自分で行わなければならなかったわけです。
それが今日では、ひとたびどこかの会社などに就職してしまえばそんなことは自分でしなくて良い。ただ与えられた部分的な役割を遂行すれば良いのです。しかし、そのラクな仕事とトレードオフで、個人の自由も束縛されてしまう。これが現代人の多くが置かれた状況なのだろうと思います。
ただ、独立しないことが悪いわけでもないですし、最初から独立するには難しいこともある。人によって、途中まではある組織に属したのちに独立する人もいれば、一生組織に属しているのがいいという人もいるでしょう。
もし、気持ちをラクにして組織の中で生きたいのであれば、「かりそめのムラ人」をやればいいのです。
つまり、「とりあえず当面は、いろいろな経験を積んだり商売の仕方を学ぶためにこの組織で修行をするのだ」と割り切って、ムラ社会の一員になって過ごす。しかし、そこで感じた疑問や問題意識は大切に内に秘めておくのです。決してムラの悪癖に染まり切ったり、麻痺してしまってはなりません。そしていずれ、独立したり然るべき立場を得た時に、それを存分に活かすようにするのです。
かりそめのムラ人と個性の二重構造を自覚する
ーー「かりそめムラ人」であれば、自分の個性も大切にできそうです。
あくまで「かりそめ」でムラ人を演じているだけで、中核にはその人の個性がしっかりと保たれていなければなりません。いまは組織人として求められているから、そのように発言をする、役割を演じるかもしれない。しかしあとで、意見や主張を出してもよい場所・タイミングが訪れたら、実はこう思っていたんだ、と自分の個性を発揮すればいいのです。
自分の中で、「かりそめのムラ人」と「本来の自分」との二重構造をきちんと自覚し、区別するのです。
これをごっちゃにして、ムラに入って不用意に個性を出しすぎると、出る杭は打たれますし、自分自身もダメージを被ってしまいます。
私は、組織の中でうまくたちまわれないと悩んでいる人にはよく「自分はスパイとしてここに潜入しているのだと思ってはどうか」と伝えることがあります。スパイはバレてはまずいので、本当に思ったことは言葉に出さず心の中にメモをとっておく。こう考えることで二重構造を生み出し、「本来の自分」を損なわないようにするのです。
ただ、スパイとはいえ、あまりにも自分を裏切るような行動や自分に嘘をつかねばならないような環境なのであれば、もちろんその環境は変えたほうがいいでしょう。二重構造といっても、やはり限度はありますから。
このように二重構造を上手に活用しながらも、したたかに「本来の自分」を損なわないように生きていくことが、ムラ社会や組織の中に身を置かざるを得ない私たちの生き方のコツなのではないでしょうか。そしていずれ、ムラ社会のぬるま湯を脱して、成熟した個のあり方に一人一人が目覚め、それが尊重されるような社会を作っていくことが求められているのです。