経済学の中では、「ある特定の要素2割が全体の8割の成果を生み出している」というパレートの法則が有名です。これは、「2割の人材が8割の利益を生み出している」とも応用されます。
『働かないアリに意義がある』でアリの社会と組織の研究結果を著した、北海道大学・長谷川英祐先生によると、アリの社会でも働かないアリが2〜3割いるそうです。
生物学者から見た人間の組織や人間関係はどのようなものなのでしょうか?前編では、アリやチンパンジーの社会をひもとき、後編ではアリの労働形態から人間社会についてをお聞きしました。
プロフィール:長谷川 英祐(はせがわ えいすけ)
進化生物学者。1961年東京生まれ。北海道大学大学院農学研究院生物生態・体系学分野動物生態学研究室准教授。観察、理論解析とDNA解析を駆使して主に真社会性生物の進化生物学研究を行っている。実験から得た「働かないアリだけで集団をつくると働くものが現れる」などの研究で話題を呼んだ。主な著書に『働かないアリに意義がある』がある。
効率最優先のシステムはすぐに滅びてしまう
ーー前編で伺った、働くアリと働かないアリの行動の研究はどのような実験からわかったのでしょうか?
私たちは2つのアリのグループにシミュレーションで条件を与え、その絶滅率を調べました。一方は全員が同時に働くコロニー、もう一方は(反応閾値分散を持っていて)誰かがいつも働かないコロニーです。
誰かがやっていなければいけない仕事を誰もやらなくなると滅びてしまう、という仮定を入れてシミュレーションをすると、いつも休んでいるアリがいるシステムのほうが平均的に長続きするんです。
つまり、効率最優先でいくと滅びてしまうので、少しくらい効率が悪くても長く生き延びられるようなシステムのほうが強い。
私が専門としている進化生態学の研究においては、ダーウィンが唱えた自然選択が進化の原理だと言われているんですが、それは効率最優先でとにかく競争に勝つものが生き残るという話なんです。これはもちろん正しいんですが、絶滅を回避するためのコストと効率を上げるためのコストというのは、同じ資源の中から割り振って使っているはずですよね。すると、絶滅の回避をすごく小さくして効率をあげちゃうと滅びやすくなっちゃうんです。
結局効率最優先にすると、そういうシステムはすぐに滅びてしまう。だから、結局ある程度効率が悪くても滅びないようになっているシステムのほうが生き残りやすいということを、私たちは「永続選択」と呼んでいます。
だから、働かないアリというのは自然選択の産物としてできたんじゃなくて、自然選択と永続選択の一番いいバランスのところで成立しているシステムだと思うんです。
ーー人間や企業も、長く続くことって大切ですよね。
そうです。だから例えば仕事のしすぎで過労死など、人生を棒に振っちゃうようなことはバカバカしい限りです。企業にとってもいいことではないのに、なぜか企業は効率最優先に邁進しちゃうんですよね。
企業は生産性を考えるが、個人は生産性で幸せには働けない
ーお話を聞いているうちに、会社やチームで「この人さぼっているんじゃないか」と思うときもあるんですが、それも意味があるのかなと思ってしまいました。
それはどうでしょうか。アリはコロニーの全員が血が繋がっている家族なんです。だから自分が死んでも、血の繋がっている女王アリが繁殖してくれればそれでペイします。生物の世界ではこれを「適応度」と言って、どれだけ多くの子孫を残せるかの指標となります。でも人間の適応度は繁殖効率ではないですし、企業の「適応度」は生産性ですが、企業で働いている個人の「適応度」は生産性じゃないんですよね。
だから、企業は生産性をあげようとして過労死させるようなことをしてしまうんですが、それは働く個人が幸せじゃなくなってしまいます。そんな企業はやっぱり人が集まらなくなりますよね。企業はそのバランスをうまくとらなければいけないと思うんです。
「働かないアリ」の研究を書籍で発表してから、ある大企業の重役以上の人たちが10人ほどが集まる場所で講演をしたことがありました。そこでは、中間管理職が部下個人の特性をうまく見極めて得意な分野で仕事をさせ、しかも仕事のしすぎでくたびれちゃうようなことがないように管理しないと企業としてはうまくいかないのではないかという話をしました。
そのとき重役になっている大企業の皆さんに「若い頃に嫌な上司のために一生懸命働こうと思いましたか?」と尋ねたんです。すると、「そんなことないね。足引っ張ってやろうと思ったよ」と返ってきたんです。だから、無能で威張っている上司がいる場合、個人のやる気を下げてしまうので、組織の生産効率を下げるし、崩壊させることもあります。
働くアリと働かないアリはどちらが幸せか?
ーーアリのコロニーの中でたくさんの仕事が同時多発的に起こるとのことですが、役割は自動的に決まるのでしょうか。
アリには得意・不得意というものがないようなんです。だから、例えば餌を取りにいくという、いつもやらなければいけないような仕事については、どのアリがやっても同じ能力で処理しています。
また、熟練ということもないようです。初めての仕事もベテランと同じような処理能力を示します。
ですが、役割に関してはやりやすさみたいなものはあって、基本的には働きアリがさなぎからでてきたばかりの頃は、巣の中で子どもの世話をするなどの巣の中の仕事をおこない、年をとるとだんだん巣の外の危険な場所に餌をとりにいくような仕事をするようなパターンがありますね。
ただ、調べていると生まれてすぐにいきなり餌をとりにいって、一生採集だけやっているような個体もいます。
だから、閾値みたいなものだと思うのですが、特定の仕事に反応しやすくて、その仕事を始めちゃうという個体はあるみたいです。
ーーでは、働くアリと働かないアリではどちらが幸せなのでしょうか。
幸せの定義にもよるので、一概に言えませんが、研究からわかっていることはずっと働いているアリは早く死にます。体を動かすと必ず体の各部分が劣化していくので、早く死んじゃうようです。
それを、「たくさん働けて幸せだったね」と捉えるか、「早く死んでかわいそうだね」と捉えるかは、人間の感情の問題だと思います。
結局、働くアリも働かないアリもどちらもコロニーが続くためには必要なんです。働かないアリはラクしているように見えるけど、彼らはいざというときにコロニーを存続させるという重要な使命を負っています。私が過去に書いた『働くアリに幸せを 存続と滅びの組織論』という本は、人間になぞらえて書くためにつけたタイトルなので、アリにとって何が幸せかというのはわからないですよね。
人間同士だって、他人がどう思っているか、何を考えているかなんて本当にはわからない。
結局「心をひとつにして、みんなと同じ気持ちになれる」という価値観は私にはよくわかりません。でも、人間みたいに感情で繋がったグループを作らなくてもいい生き物たちは、もっとずっとシンプルで労働分配のメカニズムみたいなものを持っていて、それで社会がうまく回るようになるシステムの中に生きています。
前編でお話したチンパンジーやボノボの例のように、人間からみると人間倫理から外れているようなとんでもなくひどいものだったりしますが、生き物たちはそれを不幸だとはたぶん思っていないでしょう。
だから、生物は、人間にかなり近い種類でも、人間とは全く違う物事の解釈の仕方とか感情を持っていて、それを自分の子孫を増やすという観点から感情も調整されていると考えるべきだと思います。安易に生物を擬人化して、生き物の行動を見て人間も同じくすべきだとか、逆に人間のように生き物もこうじゃないといけないなどと考えることは、科学的には全く意味のないことだと思います。
例えばナチスドイツのユダヤ人虐殺のように、科学を人間の行動の正当化に使おうと思ったときに、ろくなことが起こった試しはありません。
長いものに巻かれず、合理的に自分で考えて行動を決めることが重要
ーー人間の社会で、大切なことはどんなことだと思いますか?
大切なことは、自分で考えることです。
福島の原発事故が起こったとき、当時東京の浄水場の水から放射性物質がでたことがありました。そのときに東京で働いていた妻が心配して電話をかけてきたんです。僕は北海道にいたのですが、まずは2〜3日分の飲料水を確保することを伝えて、当時の状況から考えられることを伝えました。妻の家の近くの浄水場は利根川水系で、福島原発に近いから雨に流されて川に流れ込んだ一過性のものだったら2~3日で放射性物質は出なくなるはず。さらに、東京の西にある多摩川水系の浄水場のほうから放射性物質がでなければ、2〜3日で解決するはずだ、と。
結果として、実際にそのとおりになりました。妻も同じ大学で生物学を研究していた人だったので、ある程度科学的な考え方ができるはずですが、そんな妻もひと段落したあとに「やっぱり合理的なものの考え方は大事なんだね」と話していました。
だから、合理的に自分の頭で考えて行動を決めることはとても大事だと思っています。いつも誰かの意見に流されて、長いものに巻かれるのもラクでしょうけど、つまらないですよね。
人間のコミュニティの中をうまく円滑に生きるためであれば、ある程度人間関係を見て行動しなきゃいけないし、いいコミュニティでもそこから外れるような人を排除しようとする動きは必ずあります。
最近「社会的包摂」とよく言われますが、コミュニティから外れる人の居場所をつくることは大事だと思います。しかし、みんな同じように考えて同じものを見て楽しい・素晴らしいと思うような社会が一番いいと思っている人が多いみたいで、そんな浅はかな考え方では、みんなが幸せになれる社会は来ないと思います。
生きやすいコミュニティを作るためにも、みんなが幸せな社会とは、ということを常に考えていかなければいけないと思います。