国内のスマホ所有率9割を超える現代において、もはや言うまでもなく私たちの生活に欠かせない存在となった“SNS”。ここ数年続いたコロナ禍の影響も相まって、直接人と会って話をするよりも、オンライン上でやりとりする時間の方が圧倒的に増えたように思います。
三代SNSと呼ばれるFacebook、Twitter、Instagramに加え、YouTubeやTIkiTokなどの情報発信ツールが続々と生まれる中で、人々のコミュニケーションの在り方はどう変容してきたのか。さらに今後はどう変わっていくのか。
電通メディアイノベーションラボの主任研究員で、SNSのマーケティング活用や若年層のトレンドについての研究開発やコンサルティングを専門とする天野彬さんにお話を伺いました。
ぜひ、合わせて前編もご覧ください。
<前編はこちら>
プロフィール/天野 彬(あまの あきら)
1986年生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了(M.A.)。専門分野は、SNSのマーケティング活用や若年層の消費・文化トレンド。最新著に『新世代のビジネスはスマホの中から生まれる―ショートムービー時代のSNSマーケティング―』(2022年)。その他、『シェアしたがる心理』『SNS変遷史』『情報メディア白書(共著)』『広告白書(共著)』など著作多数。明治学院大学非常勤講師。日経Think! エキスパートコメンテーター。
SNS常時接続は「摩擦のないなめらかなコミュニケーション」を提供する
――長年、SNSの動向を客観的な視点から追ってきた天野さん。多様なSNSが溢れている現代において、10代や20代の若者にコミュニケーションとして今一番使われているサービスは何だと思われますか?
天野彬(以下、天野): コロナ禍を経てユーザー数が伸びたInstagram(以下、インスタ)でしょう。各種の利用調査を踏まえても、それは過言ではないと思います。最近だと身近な人との連絡手段として、LINEではなくインスタで連絡を取り合っている方が非常に多いですよね。僕は30代ですが、お仕事で知り合った方でもよくインスタをフォローし合うようになりました。みんなインスタで日常的に色んなことを発信しているので、その人のパーソナルな部分が知れて距離が縮まりポジティブな影響があります。
――自分のアカウントを知られたくないという感覚はないのでしょうか。よく上司や先輩にフォローされて、投稿しづらくなったという話も聞きますが……。
天野:たしかに投稿の内容が転職や結婚、出産など、プライベートで大きな変化があった時の「社会的なご報告」がメインになりつつあるFacebookとは違って、Twittterやインスタは今何をしているかとか、何が好きだとか、そういうパーソナルな自分のありかたを共有するための場なので、もちろん抵抗がある方もそうでない方もいらっしゃるでしょう。その辺りはどのように使いたいかという個人の趣向性の差によりますね。
――少し似た話だとZenly(※2023年2月にサービス終了)やNauNauといったサービスで家族や友人と位置情報を交換している方々もいらっしゃいますが、私の感覚からするとちょっと煩わしいなと思うんですね。その抵抗感が、あまり今の若い方にはないのでしょうか。
天野:ない子はないですよね。Facebookもリリース当初は年配の方には「実名と顔を晒すなんてありえない」と思われていたように、テクノロジーに対する温度感というのはどうしても世代で違ってくる。位置情報の交換に関しても同じで、危なくない?嫌じゃないの?と思うのは割と上の世代のスタンダードな反応だと思いますよ。
ただ電話一つとっても、何か用件がある時に電話をするという「昔ながらの使い方」だけではなくなっていて、特に用事はないけどとりあえず繋いでおいて、お互い別の用事をしながら時々会話をする……みたいなことも今はあり得るわけじゃないですか。そういう常時接続みたいなことが、物心ついた頃からネットやSNSに触れてきた若い方には割と自然にできるので、どこまで情報をシェアするかについてのリスクに対する感受性が違ってきています。
――そもそも友達と位置情報を交換したり、音声通話を繋ぎっぱなしにしておくことのメリットって何なのでしょうか。
天野:例えば、LINEで「今から遊ぼうよ」って友達から連絡が来たら少し唐突な感じがするじゃないですか。やっぱり送る側もいきなり相手を誘うのはハードルが高いし、渾身の誘いを断られたらショックですよね(笑)。その点、位置情報を交換していたら、「たまたま今近くにいるから」って一応の理由ができるので少しハードルが下がります。加えて、自ら「ここにいるよ」ってアピールしなくてもみんなに分かってもらえる。そういうシェアしているようでしていないような、摩擦のなさが心地良いというのは感覚として分かるような気がします。「なめらか」であると表現することもできるでしょう。
――それを聞いて少し腑に落ちました。たしかに気軽に誘える、誘ってもらえるというのは大きなメリットですよね。
天野:それに、どんな内容の発信であっても根底にはみんなに見てもらいたいという気持ちがあって、その自分を知ってもらいたがっているという自意識が気持ち悪いと感じる瞬間が訪れることもありますね。年を重ねると鈍感になってくるんだけど、若い時はそのことに敏感で「うわ、今の自分、恥ずかしい」って思っちゃう。常時接続はそういう自意識ゲームみたいなものから解放してくれる。例えばインスタのストーリー機能で「渋谷にいるよ」みたいな投稿をあげるのと、みんなが位置情報交換アプリを開いた時に自分が渋谷にいることが分かるのと、情報としては一緒なんだけど受け取られ方は全然違ってくるわけですよね。
――ああ、分かります。今はちょっと痛いと思われた投稿が第三者によって晒されることもありますし、そういうのを見るだけでも自意識が生まれちゃいますよね。
天野:そういう痛いタレコミをまとめて発信するインフルエンサーもいますからね。変なことをすると晒されちゃう、みたいな恐怖をきっと今の若い方は感じているんだろうな。だからこそ、親しい人にだけシェアする機能や裏アカウントが存在するわけで。どんな人ともアカウントで繋がる時代だからこそ、SNSでも本当に重要なことは限定的に周知するようになってきているのかもしれません。
SNSも人間関係のあり方も、もっと多様でいい
――今、若者が注目するSNSについてもお話したいと思います。どんどんユーザー数を伸ばしているTikTokですが、こちらは自分が発信するというよりは見る専門の方が多いように感じます。
天野:そうですね。その意味で、TikTokは厳密にいえばSNSとはちょっと違うわけです。SNSはみんながアカウント作って対等に繋がり、コミュニケーションを取り合うツールですが、TikTokは一方的にコンテンツを発信するソーシャルメディアでYouTubeに近い。多くのユーザーは友達と繋がるためではなく、面白い動画や有益な動画を観るためにやっています。
――Simejiが発表したZ世代が選ぶ次世代SNSでは、NauNauの次にGravityが2位に選ばれました。こちらは使われていますか?
天野:あまりアクティブではないですが、一応使っています。Gravityはどちらかと言えば知らない人と繋がれて、投稿される内容も他のSNSに比べて牧歌的なところに魅力がありますよね。これも前回お話ししたことですが、今はリアルとネットの世界が地続きで、すごく単純化すればリアルな人間関係でのカーストがそのままネットにも反映されてしまう側面がある。SNSにはそういう息苦しさが一部にはあって、だけど本当は人の出会いってもっと多様でいいはずですよね。そういったニーズから、新しいSNSが使われ始める場合が多いと感じてます。これは日本と海外の違いですけど、海外のユーザーに比べて、日本のユーザーはあまり新しい繋がりの創出をSNSでやっていないということが国際比較データにも現れているんです。
――たしかに知人に向けての発信がメインで、全く知らない人と繋がるということはあまりないような気がします。
天野:SNSのSは本来「Social」ですが、日本のユーザーにとっては今や「世間」で閉鎖的な空間になりつつある。しかも人気者がさらに人気者になって場を制圧する息苦しさがある中で、そうじゃない空間を提供するというのがGravityの一つのコンセプトになっていると思います。TwitterやインスタみたいにMAU何千万単位のSNSはこれからも残るし、同じくらいの規模のサービスが新しく生まれてくるかと言われたら多分難しい。だけど、GravityみたいにMAU何百万、あるいは何十万人の小中規模で、機能を尖らせたサービスはこれからどんどん生まれてくると思うんです。そういう風に色んな目的を持ったサービスがあって、自分に合ったものを選べるということが大事ですよね。
――そんなSNSが多様化する時代において、ストレスなく向き合っていくためにどうすればいいかを最後に教えてください。
天野:逆説的ですが、向き合いすぎないことが一番良いSNSとの向き合い方だと思っています。SNSにはもちろん良いところと悪いところがあって、世の中のトレンドが知れたり、自分の趣味や好きなことに関する情報を手に入れることができる。そういう便利な側面がある一方で、例えばTwitterだとおすすめ機能で刺激の強い投稿が目に入ってストレスを感じてしまうこともありますよね。だから、なるべくフォローしている人だけのタイムラインを見るとか、自分が知りたいことを調べて後は見ないようにする。あるいは、自分で1時間とか2時間とか使う時間を定めるのもいいですよね。情報が入りすぎてしまうこと、本来必要ではないコミュニケーションにまで開かれすぎてしまうこととどう折り合いをつけるのかということです。もちろん、それを肯定的に裏返せば「発見がある」「出会いがある」ということなので、ケースバイケースなのですが。
よく「SNSをしばらく絶ってデトックスしましょう」みたいにアドバイスしている方もいますが、それはそれでSNSというものを重く捉えすぎといいますか、僕的にはあまりピンと来なくて。ゼロイチで考えなくていいと思うんです。自分はSNSにどんな体験を求めるのか、そこでどういう人間関係を築いていきたいのか。結局はその目的に合った使い方を見つけることが大事で、SNSが日常に欠かせないものになってきているからこそ、振り回されることなくその原点を見つめなおしたり立ち返ったりするようなことが必要なのではないでしょうか。