個人に優しい社会が仲直りの重要性を高める?/関西学院大学・清水裕士さん (前編)

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TERMINALの10月のテーマは「真の仲直り」。“表面的な仲直り”と“真の仲直り”では何が違うのか、誰かと対立した時にどうすれば真の仲直りに近づけるのか、といったことを深掘りしていきます。

今回お話を伺ったのは、関西学院大学社会学部教授の清水裕士さん。加害者の謝罪と、被害者の赦しで成り立つ仲直りを、社会心理学の観点から分析してもらいました。

プロフィール:清水裕士(しみずひろし)
関西学院大学社会学部教授 2008年大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学,博士(人間科学).専門社会調査士.主な著書に『社会心理学のための統計学(共著)』,『幸福を目指す対人社会心理学(分担執筆)』などがある.

主な研究のテーマは親しい人に対する利他行動

――社会心理学とは、どのような学問なのでしょうか。

清水:まず、人が取る様々な行動の理由を心という観点から研究し、明らかにする学問を心理学といいます。社会心理学は、その中で特に社会的な場面において他者や集団に対して人が取る行動を扱う分野です。また個人の行動に限らず、人がたくさん集まった時に取る行動も社会心理学の研究対象で、それが社会をどう変化させたのか。またその社会の変化が今度はどう人の行動を変えたのか、ということにも着目するのが特徴だと思います。

――一口に社会心理学といっても研究内容は様々だと思います。清水さんが扱っている研究テーマについて教えてください。

清水:昔と今では研究テーマが異なりますが、以前は親しい人に対する行動を研究していました。その中でも、私が主に主軸を置いていたのが利他行動。例えば、恋人に対してなぜ親切にするのは、好きという感情があるから当たり前じゃないかと思うかもしれません。しかし、「そうしなければならない」と法律のように明記されているわけじゃないですよね。にもかかわらず、人が「そうすべき」と思うのはなぜか。また最近は、そうした「〜すべき」という社会規範はどういう風に形成されていくのかということを研究しています。

関係の価値があるから人は仲直りする

――清水さんは以前、他社のインタビューで「人間が赤の他人に対して利他行動をおこなうのは、自然界からすればとても珍しいこと」とおっしゃっていました。仲直りに関してもそうなのでしょうか?

私の専門とは異なるのですが、仲直りについては社会心理学・進化心理学者の大坪庸介さんが詳しく研究されていて、『仲直りの理 進化心理学から見た機能とメカニズム』(ちとせプレス)という著書に成果をまとめられています。その本にも書いてあるんですが、霊長類の中でも仲直りという行為はあるそうですね。

ただ、人間特有の仲直りの仕方というものはもちろんあって。まず当然ですが、言語を使うのは人間だけです。一方で、「ごめんなさい」という言葉が赦しに繋がることもあれば、繋がらないこともある。そこには謝罪の気持ちが伝わるかどうかも影響してくるわけですが、そういうように相手の心を推測するのも人間特有なのかなと思います。

――そもそも人間にとって、仲直りする理由は何なのでしょうか

色々な説がありますが、私の研究関心にとって親和性の高い説は「関係の価値があるから」という理由です。例えば、親友や恋人のように、心から信頼できる相手というのはそうそう巡り会えるものではないじゃないですか。その貴重な存在を、一度の喧嘩でいちいち関係を解消して失ったら非常に困りますよね。また次に信頼できる人を見つけなきゃいけないし、ドライな言い方をするとコストがかかる。だから今ある親しい人との関係を維持するために、悪いことをしたら謝るし、謝られた方もよっぽどのことじゃない限りは赦すわけです。

――逆を言えば、人が謝ったり人を赦したりするのは、その前提として相手との関係に価値を感じているということですよね。

もちろん世の中には色んな謝罪があって、例えば政治家の謝罪になってくると、また意味は変わってくると思います。自分の政治的な立場を守るため、つまり保身が理由かもしれないですよね。ただ、私が研究している親密な関係に関しては価値ある関係の継続が主な目的になってくるのではないでしょうか。

“仲直り”という関係維持の重要性

――社会心理学の観点からみて、現代社会における仲直りの重要性は高まっているのでしょうか。

例えば、家族喧嘩の時って2〜3日むすっとして口をきかなくても、いつの間にか普段通りに喋っているということがよくありますよね。家族というものは往往にしてそうで、いちいち謝らなくても縁が切れるわけではないと考えている人は多いと思います。昔の日本はそういう家族的なつながりが今よりも多かったので、もしかしたらさほど仲直りという行為の重要性はなかったかもしれません。だけど、今はなかなかそうはいかないですよね。「今、このタイミングで関係が切れてしまったら、もう二度と会えないかもしれない」というような一期一会の関係が増えたので、例えば喧嘩した時にすぐ謝るとか、そういうあえて関係を維持する必要性というのは増していると思います。社会心理学の研究でも、関係の移り変わりが激しいところほど、人は関係を繫ぎ止める努力をする価値が高まると論じている研究はたくさんあります。

――確かに個々人が属しているコミュニティは昔より今の方がはるかに多い一方で、SNSだけで繋がっている人とか、少しの対立でも放っておいたらすぐに切れる関係が増えていますよね。一方で、家族や恋人のように親密な関係であっても配慮が必要と考える人は今は多い気がします。

これは私の個人的な想像ですが、社会が個人に対して優しくなっているということがその理由の一つとして挙げられるような気がします。例えば、パワハラ・セクハラに関しても、最近は少しでもそういう問題が明らかになった企業は多くの人から非難の目を向けられますよね。もちろん当然やってはいけないことだけど、昔は今よりも見過ごされていた部分が大きいと思います。

それをよく人は「厳しくなった」という言葉で表現するけれど、同時に社会が人に「優しくなった」とも言えると思うんです。色々やりづらくなったと思う人もいるかもしれませんが、それによって今まで抑圧されていた個人が守られているわけだから。もしかしたら、そういう風に個人を大切にする社会の傾向が家族関係にも適用されて、家族であっても配慮は必要でなあなあにしてはダメだと考える人が増えたのかもしれないですね。