働かないアリからみる人間関係。生物学者から見た人間とは?/北海道大学准教授・長谷川英祐さん(前編)

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経済学の中では、「ある特定の要素2割が全体の8割の成果を生み出している」というパレートの法則が有名です。これは、「2割の人材が8割の利益を生み出している」とも応用されます。

『働かないアリに意義がある』でアリの社会と組織の研究結果を著した、北海道大学・長谷川英祐先生によると、アリの社会でも働かないアリが2〜3割いるそうです。

生物学者から見た人間の組織や人間関係はどのようなものなのでしょうか?前編では、アリやチンパンジーの社会をひもとき、後編ではアリの労働形態から人間社会についてをお聞きしました。

プロフィール:長谷川 英祐(はせがわ えいすけ) 
進化生物学者。1961年東京生まれ。北海道大学大学院農学研究院生物生態・体系学分野動物生態学研究室准教授。観察、理論解析とDNA解析を駆使して主に真社会性生物の進化生物学研究を行っている。実験から得た「働かないアリだけで集団をつくると働くものが現れる」などの研究で話題を呼んだ。主な著書に『働かないアリに意義がある』がある。

機能的にデザインされているような昆虫の動きに惹かれた

ーー長谷川先生が生物に興味を持たれたきっかけを教えてください。

子どもの頃からクワガタやカブトムシなどの昆虫が好きでした。だから、自然と大学進学の際に、自然生物系を選択。でも、標本を作ったりするのはあまり好きではなくて、生物が動いているのを見ているのが私は好きだったんです。

昆虫は人間のように動きがなめらかではなく、ギクシャクとしていてロボットみたいだと思いました。クワガタは特にかっこいい。中学生の頃、F1マシンが好きだったのですが、クワガタの形はF1マシンと似ていて、どちらも機能的にデザインされているように感じました。

そのうちに昆虫の機能的な形は適応進化の結果できていると知るようになり、生物の中でも特に行動や生態をやりたいと思うようになりました。

ーー生物系の中でも、専門分野は何ですか?

今はさまざまな研究をしていますが、学生の頃は、社会性昆虫を専門にしていました。例えば、蜂の仲間で女王蜂がいて働き蜂がいるような社会を作って暮らす昆虫ですね。

コミュニケーションをとりながら、成し遂げるべきことに向かって活動している生き物

ーーそのような社会を作って暮らしていく生物はコミュニティを作っているということなのでしょうか?生物の世界では、コミュニティの定義はありますか?

生態学では、コミュニティという言葉は「群集」を指す言葉として使われます。生物はその種の集団の中で暮らしていますよね。そのバックグラウンドとなる、さまざまな生物がいる集団のことを群集と言い、コミュニティと呼ばれています。

今回、生物から人間の生活にヒントを得ようという趣旨で、アリや蜂などの社会性昆虫に興味を持たれていますよね。1種類の集団が集まって、分業や仕事をしている昆虫の群れは「コロニー」と言います。今回はそちらの言葉のほうが近いと思います。

今回のお話はつまり、同種同士が集まってコミュニケーションをとりながら何かをしているグループの話かと思います。

そのグループの中では、何らかのコミュニケーションをとり、グループが成し遂げるべき機能を実現することをおこなっています。

ーーグループが成し遂げる機能とは、例えばどのようなものがありますか?

アリであれば、次世代の女王蜂とオス蜂を育てること。次世代を生産するために、必要なことを成し遂げようと活動しています。

人間に近い高等猿類も、人間とは全く違う社会を作っている

ーーさまざまにあるコロニーの中で、長谷川先生が人間に近いと思うものはありますか?例えば、ボスがいてメンバーがいるような猿などが近いのかなと想像しています。

高等猿類と言われているものは、ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンの5種類です。以前は高等猿類の社会をうまく調べると、人間の社会がどうやってできたのかわかるんじゃないかと言及されていましたが、実はこの5つの種類の社会形態は全く違うものなんです。

ひとつひとつの社会を見ていきましょう。

まず、オランウータンは基本的に群れを作らない。オスとメスが出会うのは、交尾をするときだけ。生まれた子どもを父親は全く世話をしないでどこかに行き、母親がその子どもを育てます。要するに社会を作っていない種なんです。

2つ目のゴリラはオスのゴリラが1頭いて、その周りにメスのゴリラが10頭ほどというハーレム型の集団を作っています。オスのボスが何年も存在していて、年をとると若いオスの挑戦を受けて負ければボスが入れ替わります。

そんなハーレムを作っているゴリラなのに、オスの性的能力はすごく低いんです。ほとんどの動物に発情期があって、発情期にしか交尾を受けられないんですが、ゴリラは基本的に集団中の複数のメスが同時に発情しないんです。

人間は発情期がないので、多くの人が人間のほうが普通だと思っていますが、実はそうじゃないんですよね。

あるときの観察で、2頭のメスが同時に発情したんです。発情したメスはオスに交尾をせがむので、オスは1頭のメスに交尾をしてあげました。その後、もう1頭のメスも「私もしてほしい」とねだったのですが、そのオスは自分の股間をじっと見てから、後ろを向いて頭を抱えちゃったらしいんです。その場面を想像すると人間くさくてとてもおかしいですよね。

だから、ゴリラの社会ではオスの性的能力が非常に低くてたくさんのメスが周りにいるのに、人間のハーレムという言葉で想像するようなことは起こっていないんです。

生物の社会は文化的で、変化もする。人間のコミュニティも人間の中だけで進化している

ーー人間くさい場面もありながら、基本の社会は人間とは全く違いますね。

3つ目のチンパンジーの社会形態も全く違います。チンパンジーは基本的にオス複数とメス複数で群れができています。メスが近くにいる複数のオスと次々に交尾をする社会形態をとっています。だから、オスからすると、交尾をしてもそのメスが自分の子どもを産んでくれるかは保証されていないんですよね。

こういった乱婚型の繁殖形式をとる種類には、精子競争というのが起こります。複数の精子の中で自分の精子が勝ち残って受精することが、オスにとっては極めて重要なことなんです。自分の子どもが残らないのにメスのために交尾をしてあげることは生物学的には意味がない。生物って赤裸々なものなんですよ。

だから、チンパンジーは高等猿類の中で一番睾丸が大きくて、大量の精子を出すようになりました。より授精の確率を高めて、他のオスとの精子競争に勝ち抜くための仕組みです。

最後にボノボの社会というのは、もっとすさまじい。ボノボの中では、性行動を挨拶行動として使っています。朝起きるといきなり、親と子どもが交尾をするんですよ。オス同士でも、ペニスフェンシングと言ってペニス同士を打ち合ったり、メス同士も生殖器を擦り合わせるような行動もします。

私が子どもの頃にあるTV番組でそれを知ったときは、「なんだこの生き物は!」と衝撃を受けた記憶があります。

人間からするとびっくりするような性行動が、ボノボの社会では個体間の緊張関係を緩和していて、彼らの社会を維持することに役立っているようなんです。挨拶なので仲良くする意味もあると思うし、個体間の順位を確認するような行動でもあると思うんです。

このように、高等猿類の社会形態というのは文化的なもので、非常に短期間で変化してしまうことが考えられ、高等猿類という非常に近縁な位置にあるグループでも全く違っているんですよね。

だから、人間のコミュニティも進化的な起源としては、人間の中だけで存在していて、おそらく人間の中でも部族によって全く違ってくると思います。

我々日本人は、今基本的に西洋の倫理観で作られているコミュニティを一般的なものと考えていますが、それは多分違います。日本のコミュニティというのも江戸時代くらいまでは西洋の倫理観とは全く違うものでした。

特攻隊になっても、コロニーがうまくまわればそれでいい働きアリ

ーーそれでは、昆虫はどんな社会なのでしょうか?

昆虫のコロニーはもっとドライなものです。昆虫には感情のようなものはほとんどありません。アリは目ではほとんどものを見ておらず、匂いでものを感じているようなものなんです。触覚が発達していて、相手に触ったときの化学物質で、自分と同じ巣の仲間とかそうじゃないとかの認識をしています。

基本的に同じ匂いがするものの仲間では、例えば分業をうまく作り出すシステムがあり、コロニーが必要とする仕事を効率よくこなしていくようになっています。コロニーが効率よく運営されると、女王アリが繁殖のために使える資源が多くなるので、たくさんの繁殖虫が作られます。

女王アリ以外の各個体、つまり働きアリは自分が死んでもコロニー全体がうまく運営されればそれでいいということを普通におこないます。働きアリは基本的に繁殖しないので、自分が他の働きアリより先に死んでも、コロニーがうまくまわって自分の血縁の子孫をたくさん残してくれるんだったらそれでいいという話になるんです。人間でいうと、特攻隊みたいなことを普通にやっていたりします。

働かないアリは必要なときにヘルプに入れる、重要な役割を担っている

ーー働きアリの中には、よく働くアリとあまり働かないアリがいるとお聞きしました。どうしてそのように分かれるのでしょうか?

ある労働を処理してほしいという刺激があるときに、処理されないと刺激がだんだん大きくなっていきます。わかりやすい例では、幼虫が餌をねだっている場合です。そのときに餌をあげないと、幼虫はもっとお腹が空くからもっとねだるようになりますよね。そのように、刺激が大きくなっていくと、あるところでその刺激に反応して幼虫に餌をあげるという行動をとります。その個体は、反応した値より大きな刺激があるときは、いつもその行動をとるんです。

これを「反応閾値」と言いますが、個体によって反応閾値がバラバラなんです。個体によってある仕事に対する反応閾値がとてもばらけている。だから、非常に刺激が大きくなるまで仕事をしない個体から、少し刺激があると仕事をする個体までさまざまです。

ある刺激(仕事)が現れたときに、最初に最も反応閾値が低い個体がその仕事をします。でも足りないときはもう少し反応閾値が高い個体が働きます。もっと仕事が増えてくると、もっと高い個体も働くわけです。

しかし、反応閾値が高い働きアリはほとんど働くことがない。そうやって、働かないアリがでてくるんです。そしてコロニーの中で仕事は同時多発的に現れてくる。アリは知能がないので、人間の会社組織みたいに、課長や係長が部下に指示を出すというようなことはできないんです。だから、反応閾値分散と言って、全自動で必要な仕事に必要な働きアリがいくようになります。

ーー自動で仕事を分担できるなんて、効率がよさそうです。

これは極めて優れた、効率的に労働分配するシステムです。でも、このシステムの宿命として、閾値が高い個体はほとんどずっと働かないということになる。全員が同時に働くほうが処理効率は高いのに、なんでこんなシステムなのか?

アリは動物だから筋肉で動いていて、疲れると休まなければいけません。疲労したら効率が落ちたり、仕事を休止したりしなければいけなくなる。そんなときにコロニーの中に、常に誰かがやっていなければいけない仕事がある場合、全員が疲れちゃうと誰も仕事をできなくなってしまう。そうなると、コロニーは大きなダメージを受けます。

だけど、いつも働いていないアリがいる場合、働けないわけじゃなくて刺激が大きくなればちゃんと働くアリです。他の働きアリがみんな疲れちゃったときに、絶対にやらなければいけない仕事の刺激が大きくなると、今まで働いていなかったアリは、働いていないから疲れていない。要するに、働かないアリは必要なときにヘルプに入ってコロニーにとって非常に大きな危機を回避する仕事ができるわけです。

生物学者から見ると、人間はバラエティに富んだ集団

ーー働くアリと働かないアリは、いつも8:2の割合になっているのでしょうか。

一概には言えませんが、私が調べた中では約2割〜3割がほとんど働かないアリでした。パレートの法則とは、イタリアのパレートという経済学者の法則らしいんですが、働くものだけ集めても、やっぱり働くものと働かないものに分かれてしまい、その割合はおおよそ8:2だそうです。

アリの場合は閾値分散ができているから、非常によく働くアリだけ取り出しても、相対的に閾値が低いやつはよく働くけど、相対的に高いアリは働かないことになるはずで、実際に実験してみてもそのような結果になります。

人間の場合は少し難しいですが、非常に能力が高くてバリバリ働いて稼いでる人がいたとして、逆に能力があまりない人や働くのが嫌いな人は「あいつがやっているから働かなくてもいい」と考える人もいます。結果、一部の人間にどんどん労働が集中してしまい、ますます働かなくなっちゃうことが起きるのではないでしょうか。

テレビのコメンテーターなどが、「みんなが少しずつ頑張れば」や「みんなが少しずつ努力すればいい」と話す人がいますが、人間の社会では成り立たないと私は思います。人間は感情があり、しかもみんながみんな善意にあふれた人ばかりではないですからね。人間の組織では、必ず「俺はやらなくていいよね」とサボる人や裏切る人も出てきます。

生物学者から見た人間は非常にバラエティに富んだ集団です。こっちの端とあっちの端ではお互いの考えを理解することができないでしょう。だから、「全員の善意を信じて、みんなで頑張ろう」と言ってもラチがあかないんじゃないでしょうか。そうならないためには、サボったり裏切ったりする人ではない、あまり働いていない人たちをどう動かすかを考えないといけないと思います。